FC2ブログ

国民の審査が待たれる

カレンダーによれば、今日は憲法記念日だという。
しかし、俺にしてみれば、この国の国民がそこまでその憲法とやらに思い入れを抱いているようにはどうにも見えないのだ。

現在の憲法は70年前のバラック造りのまま、国民投票による点検さえ一度も行われずに今日に至っている。
もし、日本国民の多くが憲法に思い入れを抱いているのなら、改正の是非を問う手続きすらない状態が60年以上も続くことなどなかったのではなかろうか。

俺個人としては、現状の憲法には変えるべき点が存在する、という考えではある。
だが、それ以上に気に入らない点は、憲法改正の最終審査とも言うべき、国民投票の制度そのものを破壊しようという退廃的知識人があまりにも多く、広くのさばっている事だ。
彼らの退廃的な試みが故に、俺の『日本国憲法』に対する評価は上述のごとき酷評にならざるを得ないのだ。
今夏にも目処が付きそうな国民投票による点検を経れば、投票結果に基づき現行のままとなったとしても上述の評価は取り下げられることになるだろうが、果たしてどうなることやら。

もう4年、まだ4年

あの大地震から4年が経った。
復興の足取りは、残念ながらまだ重いといわざるを得ないが、それでも着実に明るい話題が増えているのも確かだ。

もう4年、されどまだ4年。
70年前の先人は、様々な背景はありつつも10年をかけて焼け野原からのやり直しを果たしたのだ。
我々にだって、それをやり通す底力は備わっているはずなのだ。

誰かを恨むのは簡単だ。恨み言を言えば下がる溜飲もあろう。だが、そんな後ろ向きな行為だけでは廃退するだけだ。
一人ひとりが前を向き続けること、前に進み続けることが、復興を後押しするのだと、俺は思う。

法の無力

中東の冒涜的なテロ組織に拘束されていた人質が、2名とも斬首されたことが、ほぼ確定した。
国際法や慣習を無視し、野蛮な方法で多くの人々、とりわけイスラム教徒を冒涜しているあのような存在を許してはならない。
現状の日本にできることは限定的だが、政府が冷静に対応していることは幸いである。

非力なりの抵抗

自称イスラム教徒勢力『イスラム国』から突きつけられた身代金要求。
今これを書いている時点で、彼らが主張する『期限』は過ぎているが、今も状況打開のために奔走している人たちがいる。

身も蓋もないことを言うが、
例の要求ビデオが合成映像らしいということや、要求額が中東支援に対するあてつけのような額面になっていること、そもそも交渉の窓口を見せる気配もないことを見る限り、
俺には、連中のビデオの真意が身代金などというみみっちい事柄ではなく、日本に対する事実上の宣戦布告に見えるのだ。
おそらく、少なくともどちらか一人は既に首を刎ねられていて、その模様の画像素材も仕上がっているのだと思う。
そして、仮に現時点で首が繋がっていたとしても、日本が今の時点で打つ手があるとは思えない。
まず、敵組織の要求に応えることは、世界を敵に回すことと同義であり、絶対に許されない手段である。
また、捕虜交換などの妥協的な手段も、そもそも交渉の糸口すら見せてこない時点で悲観的である。
そして、テロ組織への国際標準の対処法は、憲法の制約により実施できる状態にない。
素人目ではあるが、自己責任の首二つが切り取られることは、もはや避けられないのではなかろうか。

重要になるのは、その後の布石となる。
憲法の制約上、『カネは出せるがヒトは出せない』前提で、どこまで善後策を打てるかが、政権の課題となるだろう。
近年では相当にやり手の外相を擁していることが、不幸中の幸いではあるが、9条狂徒の横槍に刺されないことを祈るばかりである。

不穏な事態

欧州から中東にかけて、ここ最近非常にきな臭い。

まず、昨年あたりから、東欧ウクライナ周辺のゴタゴタを皮切りに、流血沙汰が急増した。
特に厄介極まりないのが、『イスラム国』を自称するテロリスト集団だ。
カルト化した集団の危険性は、20年前に起きた毒ガス事件を引き合いに出すまでもなく、日本人でも何となくは知っていることだろう。しかし、『イスラム国』の恐ろしさは、国際的なネットワーク、潤沢な資金、世界中から新たな狂信者を次々に引き込む宣伝力、無慈悲で残忍な破壊活動だけでは語れない。
彼らが信奉していると主張する、イスラム教を信仰しているすべての人々に対して、不信や猜疑の目が向けられる空気。これを生じさせたことが、事態を加速度的に悪化させているというのが、俺の見立てである。

そして先日、さらに大きな事案が起きた。
フランスの出版社へのテロ。辛辣なイスラム教風刺を『神への侮辱』と主張する、『自称イスラム教徒』(表記としては正確ではないが、過激な狂信者とそうでない信徒とを区別するためにこう表記した)の一派が襲撃し、出版社のスタッフが殺害された事件だ。
この事件で、フランスでは『表現の自由守れ』の世論が燃え上がる形となり、一部では北アフリカ系移民(かつての植民地から移入してきた人々も少なくない)への忌避行為も起きているらしい。

---
非寛容的な思想を持つ集団がある場所には、多かれ少なかれ諍いが生じるものだ。
その諍いが破壊的な方向に向かわないためには、彼らが相手側の受忍しうるところまで寛容にならねばならない。
その解決法が望めない現状は、残念ながら悲観的である。
これ以上悪化しないことを空しく祈って、この項を終わる。
広告スペースとか
[PR]





ブログ内検索
プロフィール

のー天気

  • Author:のー天気
  • やる気は常に品薄。
    文章は駄文の域を超えない。
    とりあえず、色々当てられない。
    だが、それがいい。
リンク
RSSフィード
カテゴリー