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溺れる者がつかむものB 第152話

つい今しがた、テレビのテロップで流れたニュース速報が目に留まったので、思わず更新してしまった。

ちょっと前に鯨肉を盗んだことをテレビニュースで大々的に発表したことで知られる環境保護団体(笑)・グリーンピースの、幹部が窃盗容疑で青森県警に逮捕されたらしい。
何というか、なるべくしてなった結果ではあるのだが、思いのほか時間がかかったな、というのが正直な感想。ともあれ、あそこまで大胆な泥棒宣言はもう二度と見られまい。

んで、このニュースに関連して俺が言いたいことは、「『正義』を連呼する回数は、それを正しいと思う人間の数に対して負の相関を持つ」んじゃないかな、ってこと。
統計なんか知らないよ、という人のために言い直すとすれば、「『正義』という言葉を多用する行為ほど、一般には受け入れがたい行為である場合が多い」といったところだろうか。
ここから先は俺の主観に基づいた意見で、この見方が正しいとは限らないことを先に断っておく。
何を「正しいこと」と判断するか、というのは当然、人それぞれ異なる。ある人にとっては正しいとされる行為も、別の人から見れば全く受け入れがたい行為であるということは決して珍しいことではない。
端的な例を挙げるとすれば宗教対立だろう。宗教間の対立の歴史を見れば、お互いの主張する『正義』が真正面からぶつかり合うことがどれだけありふれたことか、何となく分かるのではないかと思う。
こういった「どっちが正しい」論争は、一方または双方の譲歩によって解決される場合が多いが、『正義』を旗印にした途端、「双方の譲歩」という選択肢が当事者の間から消えてしまったりする。双方が自分の『正義』を相手に押し付けあうという、不毛で醜悪な闘争に陥ってしまうのである。
その結果として現れるのがテロリズムなのではないか、と俺は考えている。
「相手は(自分達の)正義を理解しない。即ち殺してもいい悪の権化だ」という正当化によって、狂気としか思えないような事件を起こすのである。
自分が正しいと思い込んでいる人間は、大抵が相手の意見に耳を貸さない。自分の信じるものを批判するものは、悪と見做してしまうからだろう。こういった人間は、自分を強く信じるあまり、それを『正義』だと主張し始める。この『正義』というのは、他の美辞麗句で置き換えられることもあるだろうが、基本的に自分の主張を正当化するための言葉が入る。
その『正義らしきもの』に共感する人間が多い場合、次第に『正義』という言葉は使われなくなる。わざわざ『正義』だと宣伝しなくてもいいからだ。
しかし、その『正義らしきもの』を受け入れる人が少ない場合、『正義』を主張する声は次第に大きくなる。「何故誰も自分の意見に賛同しないのか。こいつらは正義を知らないのか」という苛立ちがその声をさらに大きくするのだが、声を大きくすればするほど、聞いている側は「鬱陶しい奴が来た」と避けるようになる。そんなやり取りの果てにあるのが、テロリズムなのだと思う。

久々に長文を書いたわけだが、これはあくまでも俺なりの考え方。「俺はそんな考え方認めねぇ」とか言って殴りこみに来られてもお茶菓子は出せませんので悪しからず。
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