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軍靴の足音は無慈悲にやってくるのか?

38度線周辺がここ数年で最高にきな臭くなってきた。
数日前のシリアでの一件から一気にコトが動いたし、日本政府の方も対応に追われているようである。

ただ、実のところ駐韓大使の一時帰国措置を解除したあたりから、半島周辺で動きがあるのでは、という気配はあった。
安倍政権の今までの外交対応から見て、『慰安婦像』の件を軽々に扱っているとは考えにくい以上、何か重大な事態が、あの半島で起きる可能性が無視できないほどに高まったということなのだろう。
実際、措置解除から半月もたたずに、北の国から無慈悲な軍靴の足音が聞こえてきたわけで。

米国のここ最近の動きは、まさしく機先を制すべく先手先手を取りに行っているように見える。
特に、米中首脳会談で根回しをしたあたりは、トランプ政権の実力を測る材料になりそうだ。
実力部隊を半島近辺に準備し、次の一手を打てる状態を見せ、中国に対応を迫っているようにも見えるが、果たしてどう転ぶか。

もっとも、今の我々は昭和憲法に簀巻きにされてるせいで、『頭上から極太が降ってこないことを祈るしかない』という割と情けない状態なのだが。
まぁ野党の怠慢と傲慢が解消するまではその情けない状況を我慢することとしよう…。
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憲法が国民の手に委ねられる日

先日の参院選の結果、昭和憲法原理主義勢力(以下、『原理主義者』)が衆参ともに3分の2を割り込むこととなった。
これによって、昭和憲法の実施からおよそ70年で初めて、憲法の再整備が可能な状況が可能な状況が生まれたことになる。

喫緊の課題は少なくない。
特に、災害常襲地帯にありながら、緊急事態に対応するための規定が皆無であることは重大な欠陥と言える。
迅速な対応が現場、国会ともに求められる状況で、法的根拠のために躊躇が生まれることは望ましくない。その躊躇が奪う人命があるかもしれないのだ。
一時的に政府の権限を強化するかわりに、一定期間内に両院の事後承諾を受けるような規定にする――など、『原理主義者』が主張する『強権政治』を抑制しつつ、必要な時に迅速に発動できるものに整える知恵を出す余地はまだまだあるはずだ。
他にも、昭和憲法では明文化されていないが一般的に認められている権利を追認することや、国防組織の位置付けの明確化なども、法治国家と謳う以上、法に定義するのが筋ではないだろうか。

嘆かわしいのは、憲法学者を名乗る人たちの殆どが、『原理主義者』の側にのうのうと居ることだ。
憲法学者というものは、前段で示したような事柄を研究し、あるいは他国の事例を参照して、自国の憲法を洗練することを促す最前線に立つことが、その本分なのではないだろうか、と俺は考える。
もちろん、ある一時期において、最適化された状態が続くこともあるだろう。だが、世の中は目まぐるしく事態が変遷するのだから、いずれどこかで無理や矛盾が生じると考えるのは、ごく自然なことだ。
そういったところで、その本分を果たさず、ただただ「現行憲法で対応できる。だから手を触れるな」と繰り返すようなら、いずれ『憲法学者』という単語のルビに(きゅうりょうどろぼう)と振られる屈辱を味わうことになるかもしれない。

憲法改正の国民投票に参加する機会が、俺の生きている間に訪れたとき、気持ちよく賛成票を投じられるような案が示されることを、一国民、一市民として強く望む。

一本列島

去る26日、北海道新幹線が開業した。
…とは言っても、新函館北斗駅の位置は北海道全体から見れば端っこも端っこなのだが。
しかし、難工事の末に建設された青函トンネルが、その本来の使命を果たす日が来た事を含め、
多くの人々にとって記念すべき日となったことは確かだろう。

そしてその陰で、惜しまれつつも記憶の彼方へと旅立って行ったものもあった。上野から北を目指した夜行列車たちである。
交通機関の世代交代であるから、これもまた仕方のないことではあるのだが、『連絡船』も『夜汽車』も、もはや死語となりつつあるのかもしれない。
そんなところに、一抹の寂しさを感じてしまうあたり、俺もトシを食ったということだろうか…。

5年前を思い出してみる

『あの日』から5年になる。ちょうど『あの日』も、金曜日だったと思う。
俺は自室の、PCの前にいた。天気は悪くなかったと思うが、なぜか外出はしていなかった。

14時46分、地鳴りのような音に続き、ゆっくりとした大きな揺れが新潟に到達した。
感覚的には1分ほど揺れていたような気がする。真っ先にラジオをつけ、837kHzに合わせる。当時から、災害の時はNHKの情報を拾うことにしていた。
アナウンサーの読み上げる震度情報は、速報では震度3以上の、都道府県とその中の地域までしか流れない。だが、そこに羅列される多数の地域名と、大津波警報という単語が、災害の甚大さを予感させた。
そして、地震発生から数十分の後、太平洋沿岸に、巨大な津波が押し寄せたのだった。

テレビ中継の画面に映し出される破壊の光景。あまりに現実離れした光景は、阪神淡路の日の朝のテレビの中継の衝撃を思い起こさせた。だが、その衝撃はその比ではなかった。
破壊と壊滅の光景が、東北太平洋沿岸の数百kmにわたって広がっていくその様が、現に目の前のテレビに映し出されているのだ。
阪神淡路の時、地震発生は早朝だった。朝起きてテレビに映し出された映像は、既に破壊が進んだ後の光景であった。
だが、『あの日』のそれは、今まさに目の前に映し出される中継画像の中で、逃げ遅れた車が津波にさらわれるなど、今思い出しても恐ろしいほど残酷な破壊の現場であった。

あれから5年が過ぎた。
復興は道半ばだが、それでも着実に前進しているという話は、日々、様々なところから聞こえてくる。
もどかしさに逸る気持ちを抑えながら、故郷の復興に尽力する人々の姿に、人間の底力を見た気がした。

犠牲者の冥福を祈る。

鏡を見る(比喩)ことが出来ない人々

まずは、野党の蛮行を紹介しておく。

日頃(大部分の)野党がやたら連呼する『議会軽視』という言い回し。
議会の開催を妨害する行為は、議会軽視どころか議会冒涜の暴挙ではないのか。
普通の一般人民の感覚(皮肉)で言えば、当然そのように感じるはずであろう(意地悪)が、彼らの言う一般市民とは違う集団なのだろうw

国民と国家の安全を堅持するための、小さな前進となる法案が、近日中に成立する見通しとなった。
いち有権者としては、あまりに踏み込みが浅い点に若干の引っかかりはあるが、民主主義は時間のかかるシステムなので、僅かでも前に進んだことを評価する。
国防において取りうる選択肢が増すことは、昭和憲法25条に規定のある生存権や生活環境の保全を助ける要素であるし、昭和憲法29条に規定のある財産権についても、敵対的な他国によって侵されることを防ぐ一助となるだろう。

国民の権利が毀損される要因は、内にも外にも存在する。
民主主義が、内の要素に対する備えとするなら、外の要素に対する備えは、突き詰めれば軍事力であると、俺は考える。
今回の法案に対して頭ごなしの反対をし、よりによって迷惑と無秩序を撒き散らすような抗議活動を強行する人たちは、そういった自然な懸念すら思い浮かばぬほどに視野が狭まってしまったのだろうか?
我々は、先人が作り上げてきた『権利』という概念を、安穏として享受するのではなく、護持するために努めなければならない。そのための仕組みを、我々はようやく再構築しようとしているのだ。

最後に、昭和憲法12条と97条を引用して締めくくりに代えることにする。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

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