今週初め辺りから急激に「寒く」なった。
「涼しく」なった、のではなく、「寒く」なったのだ。
まだ8月だというのに、半袖では肌寒い気候、それどころか、道北では最低気温が1.5度まで下がったというから困ったものである。その気温だと雪降るぞ、冗談抜きで。
ここ数年、猛暑というか酷暑が続いていただけに、過ごしやすい気候自体は歓迎されても良いかもしれないが、多分この寒さで農作物は危ないかもしれない。
「〜は歴史的な凶作に見舞われた」という新聞記事は見たくないものである。
- 2008/08/24(日) 18:25:20|
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本当ならば、旅行記の続きを書く予定だったのだが、予定は未定。
竹島の件でまた隣の国がトサカにきてるという話題で、こんなサイトを思い出した。
韓国は『なぜ』反日か?(http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html)このサイトの中身に関して、俺自身は特にコメントしない。非常に分量が多く、色々と過激な事も書いてはいるが、ぜひ一通り目を通してみてほしい。
もちろん、この内容はひとつの見解・主張でしかないし、全部が全部正しいというわけでもないと思うが、後半の部分になかなか面白い事が書かれていたので取り上げる事にした。
その部分は、『日本人の外交観』と題して、日本の外交下手を指摘している。
この中で、『外交』について、次のように表現している。
――
端的な例を挙げれば、
まず、日本人が「外交とは“話し合い”のこと」と勘違いする傾向があることなどである。
外交=話し合いではない。
話し合いは外交の中の「ごく一部」である。
外交は、相手国に自国の言い分を飲ませるために互いに「あらゆる努力」をしあうものである。
そして外交の最終的な目的は、(双方の国が)自国の利益を最大化することである。
「話し合い」も「国際親善」も「援助」も「論争」も「戦争」も「報道干渉」も「諜報」も
「同盟」も「民間交流」も「制裁」も「封鎖」も、全てその目的における外交手段の一種である。
そもそも国の代表者は友達作りのために他国の代表者に会っているわけではない。
「自分の国の全国民の代わりに」全国民に利益をもたらすために税金で雇われているのである。
どんな国でも自国の目的のために様々な手段を駆使し、あらゆる努力をする責任があるのである。……
今の日本の『外交』というのは、とにかく話し合いで解決するのが正しく、力を見せびらかして要求を飲ませるのは間違った事だ、というスタンスの上に成り立っている(成り立たざるを得ない)状態であるといえる。
建前上、日本は軍事力を持っていない(持ってはいけない?)ことになっているので、当然ながら軍事力を背景にして何かを強要する『外交』は出来ない事にはなる。
もちろん、それのおかげでやはり軍事的に弱い国とは対等な立場を取った対話が可能になるという利点があるということは認めていいだろう。それはアメリカや中華帝国には到底真似できない交渉スタンスである。
しかし、そのようなスタンスを取るのが正しくない相手も当然存在する。それは、利害が衝突している国である。
近いところではロシア連邦、朝鮮半島、中華帝国、……あれ、周りほぼ全部やん(ぁ
北方領土の問題といえば、最近余り話題に上らない(時々日本の漁船が周辺の海域に出張っていってロシア海軍の餌食になった、という事件がニュースで軽く流れる程度)が、一応今でも全島返還を要求する日本とすでに領土の一部とするロシアの間で揉めてはいる。とはいっても、まあ静かなものである。
向こうがあれほどまでに静かである理由のひとつは、やはり軍事力だろうか。冷戦時代アメリカとにらみ合っていただけあって、往時ほどの迫力は無いにしろ相変わらずの軍事大国である。まして、相手が事実上軍事力の無い相手なのだから、大騒ぎする理由は全く無いのである。ただ軍艦を貼り付けてどっしり居座っていれば交渉云々以前に実質上のロシア領として確立してしまうのだから。
その一方で、余裕の無い国は大変である。
日本で『北方領土は日本固有の領土だ』と日本の首相やら官房長官やらが言ったとしても、恐らくロシアは大したアクションは起こさないだろう。せいぜい「遺憾の意」をちょいと見せる程度で、相変わらずどっしり居座るだけであろう。しかし、『竹島は日本固有の領土だ』と地方自治体の長が宣言した途端、朝鮮半島では蜂の巣をつついたような大騒ぎに発展する。全くもって、余裕の無い国は大変である。
話が横道にそれてしまった。
先の記事の続きで、筆者は次のような主張をしている。
――
世界の常識では軍事力とは、戦争のためだけのものではない。
外交や交渉を行う上での前提条件としての意味もあるのである。
この直後の項で、筆者は「話し合いが成立するのは双方がほぼ同じ条件で交渉のテーブルについている事が必要な条件だ」という趣旨のことを書いている。
つまり、「片方が武器を持って、もう一方が丸腰」という状態ではマトモな話し合いは成立し得ないということである。
そして、この部分は、次のように結ばれている。
――
外交を“戦争と同質・同系統のもの”と正しく理解している普通の国ならば
「外交に負けることは、戦争に負けることと同様に、自国民に実害が及ぶ」という現実を
重く理解しているので、国家は自国民の利益を守ることに妥協はしない。
被害を受ける可能性をも最小化するためあらゆる努力をはらう義務を感じるだろう。
(中略)
外交は互いに自国の“未来”を賭けて行われる以上、どちらの国にとっても
感情論や甘えが許されない冷徹な駆け引きを行う「流血のない戦争」なのである。
――
この辺に、筆者の歯痒さが滲み出ているように感じるのは俺だけだろうか?
余談だが、その後の部分で日本は交渉事それ自体が苦手だ、という分析が示されている。
その一例として、チャーチルの言葉を引用していたりするのだが、その辺はここでは割愛する。何故筆者がそのように分析をしたのかは、実際に読んでもらえれば分かる事であり、あえてここで繰り返すまでも無いと判断したためである。
まあ結局何が言いたいかって言うと、隣(特に中華帝国)がおっかない状態を打開するなら、あまりスマートなやり方ではないと思うかもしれないが自衛隊をもっと有用なものにするのが恐らく最も国益に適う方法であると考えている、ということ。
だいたい、今のような状態では、自衛隊を本来の使い方で使うような事態になったら
その時点で日本オワタ、であると言うよりほかない。
「軍隊の仕事」が単に「戦争をすること」だと学校で教えている現状でこのようなことを書くのは多分に危険を孕んでいるが、あえてこの場で『
軍隊の仕事は、国家に関わる様々な利益を護ること』だと主張することにする。
何故、軍隊が武装しているのかを考えれば、それが分かるのではないだろうか。確かに、その武装で他の国を攻める国もあるだろう。しかし、そういう結果が用意されている事が背景にあるからこそ、事前交渉が意味を持ってくるのである。
そもそも、他の国を攻めてその国に要求を飲ませるという方法は、冷静に考えれば非常に効率の悪い方法である。何しろ、いかに相互の戦力に差があったとしても戦争の結果として自国民がその多寡を問わず死傷するのだから、それに伴う国内での補償が必要になるし、戦争で相手の国の政府を潰したりした場合、その後始末まで当事国が関わらねばならなくなるのだから、底に至る前に事前の交渉で一定の成果を得たほうがほぼ確実に得である。
話を戻すと、日本が再び軍隊という強力なカードを手札に加え、それを上手く用いるためには、まずは力の差による外交を含めた外交手腕の向上が必須の条件となる。たとえ強力無比の軍隊を持っていたとしても、それを切る場面を計れないようであれば宝の持ち腐れになるのは明白である。せっかく強大な力を保持していたとしても、世界から孤立してしまえば最終的には押し潰されてしまうだけであるからだ。
その、再軍備した日本の外交に何が求められるかと問われれば、「
軍事力カードを見せつつ、それを最終的には切らずに事態を収拾し、要求を通すための交渉の技術、そして、
世界の軍事力のバランスを大局的に眺める能力」だと俺は答える。特に、太平洋戦争後、軍事力を背景としての交渉を一切していない(戦争以前から大して上手くはなかったのは前述の通りだが)日本には、その辺の方法論がまったく蓄積されておらず、結果として外交で大損をこきまくってきたのである。
それが小さいところで顕在化しているのが今回の竹島問題だといえる。現状で、上述のような方針でこの問題に挑むとすれば、という視点で、以下のようなシナリオを立ててみた。
日本はまず、「日本の固有の領土である竹島から、韓国人は立ち去れ。立ち去らない場合は国土防衛の観点から自衛隊を動かす」と、自衛隊動員も辞さない立場を見せる。そして、実際に島根の辺りに護衛艦を回すなどの行動を起こす。こっちは本気だぞ、という態度を物理的に表すことで、軍事力のカードを見せる。
次に、「自国民を慮るならば国際司法裁判所で白黒付けようじゃないか」と公式の場で投げ込む。このようにやられれば、韓国はそれなりに対応を迫られる事になるはずである。
もし、全く何もしなければ(絶対にありえないパターンだが)、竹島の『不法上陸者』との戦闘、という形になる。あまり国内的な受けは良くないだろう(特に朝日”在日”新聞とか毎日”変態”新聞とかがものすごい事になるだろう)が、韓国内では確実に政権が転覆する。
また、国際司法裁判所に持ち込んでくれれば、最も平和的な方法で問題が解決する事になるだろう(よほどドジをやらかさない限り、日本側が有利にコトを運べるはずである)し、もともと日本がやりたい方法なのだから、この結果に持ち込めることが理想だが、恐らくこの方策をとっても韓国では政権が転覆する(日本に外交で負けるような「無能」と評されるため)。
現実的には、韓国も軍を送り込んでにらみ合いになるのだろうが、日本は「国際司法裁判所で白黒付けよう」ということを公式の場で言っているという事実を盾に世界の世論を味方につければいい。そうなれば韓国は立場を悪くする事を恐れて交渉の場に出ざるを得なくなるはずである。多分政権は転覆するだろうが、とりあえず被害はその程度で済むだろう。韓国にとっての落としどころはせいぜいこの辺。
そして万一、向こうから撃って来るようなら自衛隊が本来の仕事を粛々と行うだけである。そうなってしまえば韓国に対する世界の視線は、『話し合いを拒む野蛮な国家』に対するそれになることは避けられないだろう。もしそうなれば、攻撃を命じた人間は、韓国内では英雄になれるかもしれない。しかし、その”英雄”の判断の結果、韓国の、世界の中での地位は今以上に低くなるといえる。結果として、韓国は竹島と一緒に世界の中での発言力をも失う結果となってしまうのである。そして最悪の場合、外国企業が韓国から資本を引き上げてしまうなど、経済的な後退にさえ繋がりかねない。
そしてそれ以上に酷いパターンは、その混乱と守備力の低下に乗じて、金正日率いる将軍様の軍がソウルを強襲して
大韓民国オワタってなっちゃうバッドエンド。『小さな島に固執した結果、大韓民国は国土を全て失った。残ったのは日本に攻撃する命令を出した”英雄”だけであった』という屈辱的な記述で、大韓民国滅亡が歴史の教科書に載ってしまうことになる。流石に、このパターンだけは多分無いだろうとは思うが、今の情勢では全く無いとは言い切れない結末だと考えている。今の38度線で南北融和が進んでいるのは、北の国が、線を越えて攻撃するメリットを現状見出していないからに過ぎず、もしソウルの守備が手薄になったと判断すれば、突然ぶっ放してくる可能性も無いとは言い切れないのである。よしんばその攻撃をしのぐ事ができたとしても、将軍様の軍は大韓民国にたくさんの破壊を贈呈して回るので、やっぱり大損である。政権もしっかり転覆する。
これが、現状で日本が最良の方策を取った場合の、竹島問題解決のシナリオである。残念な事に、俺が分かっている範囲で見立てた範囲ではこの手を打った瞬間、韓国の政権に「詰めろ(将棋で、相手がどんな手を打っても詰ませることが出来る状態)」がかかってしまう。少なくとも、俺には分からない別の要素(例えば中華帝国(笑)さまの横槍とか)が挟まって世界の世論を取りまとめられなかったりしない限り、最大の一撃になると考えている。韓国の政権に同情するのは、彼らには何も失敗が無くても、竹島を勝手に取り込んだ過去の大統領のせいで転覆してしまうという点であろう。むしろ問題は、このような強力な手を打てないような世論が日本の中に形成されつつある(『自衛隊は違憲だ、働くな、解体しろ』って喚き散らし、『日本は彼らに酷いことをしたから未来永劫韓国や中国には頭を下げろ』とかいう荒唐無稽なことを本気で言っちゃうような連中が、地方紙どころか全国紙の新聞出してるんだもの)という点である。残念ながら、敵は国内にいる。
韓国にとって一番マシな選択肢は、「国際司法裁判所で白黒付ける」という選択肢だろう。韓国にとってかなり分の悪い戦いにはなるだろうが、彼らのロビー活動によっては黒が白になる可能性も残っていたりする。もしそうなれば、日本にとっては相当の痛手になるだろうが、少なくとも傲慢な相手に要求を突きつけ、それを呑ませた、という点において外交的には前進であると”まるめこむ”ことは可能であろう。その敗北の原因を確認し反省をした上で、北方領土や南沙諸島の問題に挑み、相手を譲歩させる事ができたなら、竹島という「授業料」は決して高いものではなかったという評価を与えられるだろう。
…あれ?このシナリオが一番韓国にとって幸せなはずなのに、得るものが小さすぎやしないか?w
と、書きたいことを一通り書いたところでお断りとか。
これはあくまで素人的な見解であり、理論の展開に大きな間違いが含まれているかもしれない。
だが、国際的に非難が出るようなことがまずありえないと判断できる範囲で仮定を立てた理論ではあると考えてはいる。
この件に関して怒鳴り込んでこられても俺の見解が変わらない以上、お互いに平行線をたどるだけなので(どうせあんたらだって自説を曲げる訳無いでしょ?)、
お互い無駄な労力は費やさないようにしよう。
そして、疑問があるなら俺よりも詳しい人間が集まる場所はたくさんあるから、
そっちに投げてくれるとお互いのためになると思うので、そういうところを当たってみてほしいな、と。
- 2008/07/21(月) 00:35:28|
- 俺の主張をだらだらと。
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つい今しがた、テレビのテロップで流れたニュース速報が目に留まったので、思わず更新してしまった。
ちょっと前に鯨肉を盗んだことをテレビニュースで大々的に発表したことで知られる環境保護団体(笑)・グリーンピースの、幹部が窃盗容疑で青森県警に逮捕されたらしい。
何というか、なるべくしてなった結果ではあるのだが、思いのほか時間がかかったな、というのが正直な感想。ともあれ、あそこまで大胆な泥棒宣言はもう二度と見られまい。
んで、このニュースに関連して俺が言いたいことは、「『正義』を連呼する回数は、それを正しいと思う人間の数に対して負の相関を持つ」んじゃないかな、ってこと。
統計なんか知らないよ、という人のために言い直すとすれば、「『正義』という言葉を多用する行為ほど、一般には受け入れがたい行為である場合が多い」といったところだろうか。
ここから先は俺の主観に基づいた意見で、この見方が正しいとは限らないことを先に断っておく。
何を「正しいこと」と判断するか、というのは当然、人それぞれ異なる。ある人にとっては正しいとされる行為も、別の人から見れば全く受け入れがたい行為であるということは決して珍しいことではない。
端的な例を挙げるとすれば宗教対立だろう。宗教間の対立の歴史を見れば、お互いの主張する『正義』が真正面からぶつかり合うことがどれだけありふれたことか、何となく分かるのではないかと思う。
こういった「どっちが正しい」論争は、一方または双方の譲歩によって解決される場合が多いが、『正義』を旗印にした途端、「双方の譲歩」という選択肢が当事者の間から消えてしまったりする。双方が自分の『正義』を相手に押し付けあうという、不毛で醜悪な闘争に陥ってしまうのである。
その結果として現れるのがテロリズムなのではないか、と俺は考えている。
「相手は(自分達の)正義を理解しない。即ち殺してもいい悪の権化だ」という正当化によって、狂気としか思えないような事件を起こすのである。
自分が正しいと思い込んでいる人間は、大抵が相手の意見に耳を貸さない。自分の信じるものを批判するものは、悪と見做してしまうからだろう。こういった人間は、自分を強く信じるあまり、それを『正義』だと主張し始める。この『正義』というのは、他の美辞麗句で置き換えられることもあるだろうが、基本的に自分の主張を正当化するための言葉が入る。
その『正義らしきもの』に共感する人間が多い場合、次第に『正義』という言葉は使われなくなる。わざわざ『正義』だと宣伝しなくてもいいからだ。
しかし、その『正義らしきもの』を受け入れる人が少ない場合、『正義』を主張する声は次第に大きくなる。「何故誰も自分の意見に賛同しないのか。こいつらは正義を知らないのか」という苛立ちがその声をさらに大きくするのだが、声を大きくすればするほど、聞いている側は「鬱陶しい奴が来た」と避けるようになる。そんなやり取りの果てにあるのが、テロリズムなのだと思う。
久々に長文を書いたわけだが、これはあくまでも俺なりの考え方。「俺はそんな考え方認めねぇ」とか言って殴りこみに来られてもお茶菓子は出せませんので悪しからず。
- 2008/06/20(金) 09:27:55|
- 俺の主張をだらだらと。
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